アーナン日報

暇な大学生達でブログやります。

運気というもの

ご無沙汰しております。ゴエモンです(*´・ω・`)b

新年明けてからやれ引っ越しだの親の来訪など忙しくなることが多く、ブログをほったらかしにしておりました。

まあ皆書いてないんで良しとしましょう。ブログを毎日書くブロガーや毎日投稿するYouTuberの凄さを改めて実感します。

 

さて、話は変わりますが皆さんは「運気」というものを信じますか?神や仏ではありません。運気そのものです。

実を言うと私は神や仏は全く信じてません。しかし唯一神に頼る時と言ったら、下痢でトイレにこもってる時位ですね(笑)

もしかしたら神や仏は概念上存在するかもしれませんが、実際に恩恵にあやかったことは無いので信じません。死んでから出てこられても遅い…!今出てきてくれよ!

 

そんな事はさておき、運気も神や仏と同じように概念でしかないものです。神や仏を信じない私は、もちろん運気なんて全く信じてませんでした。

親がよく「俺には『ここぞ!』という時が分かる。運気には流れがあるから、お前もそれを掴むんだ」と言ってきますが「ニュータイプかよ」と聞き流してました。

 

しかし、最近になって私も運気というものを信じるように、そして捉えられるようになりました。(まだ掴んで成功に導くことは出来てないが)

まさにララァの影響でニュータイプ能力を自覚したシャアみたいですね…!(見える…!私にも敵が見えるぞ…!)

 

事の発端は去年の大惨事とも言える究極のツキのなさから始まります。本当に去年は酷かった。

まず、資格試験に落ちたことです。これは「努力不足だろ」と指摘されそうですが、大学受験より真面目に勉強して落ちたとなると、これはもう運のなさと言ってもいいでしょう。バカが京大受けるのとは訳が違います。

次に汚ない話ですが、大便を漏らしかけたことです。これは汚い話ですが、マジです。本当に危なかった…。人生最大の苦境でした。近くにトイレがあったから良かったものの、無ければ漏らしてました。しかもすぐ隣に友人が。ヤバかった。

そして最後は大晦日に階段から滑り落ちたことです。年末に東尋坊に行ったことはブログで書きましたが、その後、足を踏み外して二階からダダダダと15段位滑り落ちてしまいました。身内が言うには「東尋坊で悪霊を連れてきたんやろ」と言うことです。生きてる人間に迷惑かける霊って腹が立ちますね。死んでるんだから大人しくしてろと言いたい。

 

まあそんなこんなで去年は最悪の運気でしたが、これだけでは運気を感じとることは出来ない。では何があったのか?それは正月に起床した時、何か「何でも出来そうな感覚」を実感したということです。

これだけ聞くとなんか宗教じみてますが、それではありません。説明しにくいのですが、自惚れでも驕りでもない万能感が出てくる。しかしそれでいて冷静に物事を考えられる。そんな状況です。

それによって私は「今年は運気が高いのでは?」と思い、尚且つ運気の存在を信じるようになりました。そしてそれを信じたと同時に、ささやかながら「運が良いな」と思えることがいくつも起こりました。これも運の成せるワザでしょうか?

 

そういうわけで、私はニュータイプへと覚醒し、運気の存在を感じ、流れを掴むことが出来るようになりました…?🤔

まあ流れを掴んでいるかはまだ怪しいところですが、「今頑張れば全て成功する」と思う状況にいるのは確かです。このニュータイプ状態が切れるまでに、やらねばならないことを全部成功に導いてやろうと思います…!😄

2018年を振り返る。

 タウズです。

 いよいよ本当に年が終わろうとしているので、とりあえず今年を振り返ってみようかと思います。時系列順に細かく振り返るので、読み物としてはいささか退屈なものになりそうですがご了承下さい。

 そういえば、今年の初めはゲームで始まっていました。そのゲームとは何をかくそう「ゼルダの伝説 Breath of the Wild(以下BOW)」。ゲーム史にその名を残すことは間違いない、まさに伝説のゲームであります。そのころは確か有料の追加コンテンツが配信されたとかで、もうただひたすら毎日BOWやってましたね。少なくとも一日5時間はやってたと思います。後にも先にもこんなにやりこんだゲームはBOWだけですね。ファミコンを世に送り出して以来、任天堂はひたすら、家庭用ゲームはどのようにあるべきかを考え続けてきたようですが、このBOWには、その問いに対する、任天堂なりの答えが込められているように感じられました。これ以上BOWについて触れ出すときりがないので、このへんでやめときます。これはあくまで今年の振り返りですからね。とにかく、今年の年明けはひたすらゲーマーでした。2月には期末試験が待ち構えているというのに、ただひたすらゲーム内の広大な世界を駆け巡ってましたね。

 まあそんなこんなで冬休みは終わり、そのまま一月も終わり、定期試験もテキトーにこなし、まあ風邪も何回か引いてたからGPAも下がるところまで下がるだろうなと思っていたらむしろ上昇。世の中不思議ですね。あれだけ必死だった1回生前期より明らかに勉強量減ってたはずなんですがね。気が付けばGPAランクは同じ課程の同回生(100人足らず)の中で2位になってましたね。1位は僕の友人で、まあこいつはトップになるべくしてなったっていう、「大学生になっても受験生」の異名を持つガリ勉さんでしたが。GPA教えてもらったら、僕とはかなりの差がありました。さすがです。授業後毎日図書館にこもって勉強する受験生には勝てません。

 さてさて、そのまま春休みに突入。なんと春休みが2か月近くもある!同様に2か月続いた夏休みを、毎日BOWの世界にトリップしながらただひたすら暇をもてあまして無駄にしてしまった苦い経験から、何か始めなければ、と思い立ちました。ただ思い立ってから行動に移すまでにやはり時間がかかり、新しいバイトを開始したのは3月に入ってからだったと思います。新しいバイト、と言いますのは、まあつまるところかつて僕はバイトした経験があったのですが、こちらは触れたくない辛い過去であり、それに厳密には2018年の出来事ではないので、とりあえず触れずにおきます。さて、新しいバイトは弁当と総菜をひたすら作りまくる業務ですが、まあ最初はかなり楽でしたね。「こんなんで金もらっていいの?」ってぐらい。ただ研修のようなものが終わり、いざ一人前の仕事量を課せられると、途端に重労働に。朝9時(といっておいて8時半)から昼1時までの勤務のはずが、気が付けば昼3時までかかる始末。けれど、周りの従業員の方は、内心「もっとはよせえ」と思っておられるのかもしれませんが、それを表に出すことはなく、そこまで居心地の悪い環境ではありませんでした。ただ、「昼食いつとればええねん」とはなりましたが・・・。やっているうちに徐々に業務にも慣れ、弁当類の注文や予約がなければ、たいていの場合昼1時までには終われるようになっていきました。まあそんなこんなで僕の第二のバイトデビューは無事成功(?)したのでした。

 4月。始業。いつものようにテキトーに履修登録を済ませようとしたのですが、ひとつ気になる科目が。「産学連携ものづくり実践」。企業が学生に課題を提供し、その課題を解決する装置を実際に作製するのが目的のこの科目。工学部に所属する我々としては貴重な体験ができそうな科目ではありますが、僕としてはそれ以上に、「この科目、今年度が最後で、来年には消滅します。」という宣伝担当の助教の言葉にひっかかりました。「今年が最後」「今しかない」といったワードに弱い僕は、その科目に強く惹かれてしまいました。そしてなにより、その科目が4単位に相当し、たいていこういった実践形式の科目は、参加して普通にやってれば最高評定のSがもらえる、という全くもって根拠のない発想から、深く考えることもなく履修登録してしまいました。あとから知ったのですが、その科目は本来三回生向けに開講されているものらしく、今年は最後だからという理由で二回生の僕らにも勧誘が来た、ということだったそうです。

 登録したが最後、企業との兼ね合いから履修中止はできないと告げられ、守秘義務契約書にサインをさせられました。つまりは一瞬で退路を断たれてしまったのです。この科目についても書きたいことは山ほどあるのですが、守秘義務がある以上、どこまでがその境界かあいまいでいまいちよくわからないので、これ以上は触れないことにします。・・・とにかく、大変でした。

 さて、まあ、そんなこんなで、この「ものづくり」のおかげで退屈することなく、というかむしろ、他の科目への出席すら犠牲にして、ひたすら振り回されて、忙殺されて前期は過ぎていったような印象です。他はなにやってたのか・・・。前期は「ものづくり」のひと科目しか履修登録してなかったんじゃないか?ってぐらい、もうそれだけしか記憶にないです。期末試験期間中も、頭の中は「ものづくり」のことばかり。提出書類の期限が怒涛のように押し寄せ、テストどころではない!図面が!発注表が!設計報告書があああ

 今期はGPAがだだ下がりすることを確信した瞬間でしたね。そういえばこのころに今使ってるこのマイPCも買ったんだったっけな。バイト代で。そもそもパソコンほしくてバイト始めたようなものだったから・・・。

 なんだかんだで時は流れ、地獄の定期試験を乗り切って夏休みへ。しかし「ものづくり」はまだまだ続く・・・。夏休みもささげるなんて聞いてないっすよ(ちゃんと説明会のときに説明あったらしい)。ただ、とうぜん他の科目の授業はなくなるので、「ものづくり」だけに専念できるようになって、時間に余裕が生まれましたね。程よくがんばり、程よくバイトして、程よく休む。今年の夏休みは、前年の夏休みよりは充実していた気がします(前年の夏休みがいかに空虚であったかについてはここでは触れない)。夏休み終わりには「ものづくり」の最終発表会があり、それの準備などで終盤ドタバタしましたが、どうにか本番当日を迎えることができました。苦い思いもたくさんしましたが、いろいろと経験出来て、楽しかったです。最後の報告書には、いいこと悪いことを思ったままストレートに書きなぐってやりましたね。あれを読んだ教授はいったい何を思うのでしょうか・・・。

 さてさて夏休みも終わって十月に突入。「ものづくり」からも解放されて急激に暇になってしまいました。もう空っぽ。といいますのも、四単位分に相当する「ものづくり」を履修してしまったがために、後期履修登録できるのが22単位しかなくなってしまったのです(一年間の登録上限は50単位)。おかげで必修をあらかた登録するともう残りが4単位しかない。しかしまだ興味深そうな科目が6単位分ある。上限解放という選択肢もあったのですが、前年度の後期を振り返ると僕は何度も何度も風邪を引いて授業を何度も欠席していました。今年もそうなることを見越すと、あまり馬鹿みたいに登録するのはまずかろうと思い、仕方なく22単位だけきっちり登録して今期をスタートすることにしました。そして、あえて自粛したこの決断の裏には、大学生あるまじきある思惑があったのです。・・・そう。この時期で始める意味が、誰にも理解できないような、新しい趣味。サクソフォーンであります。

 サックス教室に通い始めたことが、今年最大の出来事であったように思えます。以前から音楽には興味があり、いつか楽器を習ってみたいな、とひそかに思いながら、しかし中学高校で音楽関係の部活動に参加する度胸もなく、音楽教室に通う資金負担を親に任せることもできず、なんだかんだ「音楽を習わない理由」を並べて過ごしているうちに結局大学生になってしまいました。このままでは一生楽器を始めるチャンスは来ない、と思い立ち、そして何より、自分がバイトを始めてお金を稼ぐようになり、そのお金を使えば教室に通うことが不可能ではないと気づくことができたことが、踏み出すきっかけとなりました。今まで無意識のうちに並べてきた、「音楽を習わない言い訳」をすべて覆すことができたんです。

 それからサックス教室に通い始めるようになり、新しい世界との遭遇、というと大げさな気がしますが、それぐらい驚きと発見の連続。そして、高校では芸術選択システムの都合上音楽を選べなかったことから、中学校以来となる「音楽の授業」に、忘れていた「音楽を学ぶことの喜び」を取り戻すことができたのです。今は本当に楽しい。サックスを始めてよかった。心からそう思います。え?冬はしょっちゅう風邪をひくくせになんでサックスなんて始めたのか、ですって?・・・まあ、人間いろいろですね。どういうわけか今年の冬は今のところ風邪をひきませんね。暖冬のおかげかな。

 さて、今年の振り返りはざっとこんなところでしょうか。今年は後半になるにつれて加速していったような気がします。特に後期は、サックスはもちろんのこと、物理学実験が始まり、まだそれほど危険な実験もさせてくれないので、実験器具で全く関係のないことをしてみたり、ロールペーパーを転がして遊んだり、友達と一緒に悪ふざけをして教員に怒られたり・・・、童心に帰れますね。まだまだ僕は子どものようです。楽しい時間は速く過ぎてしまうとよく言いますが、だからって時間の流れを遅らせようと空虚な時間を意味もなく過ごすよりは、加速していく時間の中を、その刹那の輝きを、ひとつひとつ大切に生きるほうが、僕にとってはずっと価値のあることだと思います。

 皆さんの2018年はどんな年になったでしょうか。来年も楽しいことがいっぱい待っているといいですね。

それでは皆さん、良いお年を。

カルロス・ゴーンと人質司法

 カっちゃんがやばいね。かっちゃんだよ。日産カルロス・ゴーンちゃん。

 

 ゴーンちゃんは、平成23年から27年にまでの自分の報酬額を、50億円ほど少なく、有価証券報告書に虚偽記載していた容疑(金融商品取引法197条および197条2項、207条違反)で、2018年11月19日、東京地検特捜部によって逮捕されちゃった(逮捕①)。
 勾留、勾留延長決定を経て、延長最終日となる2018年12月10日、平成28年から平成30年初めまでの虚偽記載の容疑で再逮捕しちゃった(逮捕②)。10日間の勾留を経て、特捜部は勾留延長を請求したが、東京地裁はこれを却下した。

2018年12月21日、勾留延長却下を受けて、特捜部は特別背任罪でまた再逮捕しやがった(逮捕③)。

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 一部では「検察の威信をかけた再逮捕だ!裁判所に屈しない検察カコイイ!!!}とか言ってるけど、非常に危ういことをしている。

 

 原則、被疑者の身柄拘束の限界は、逮捕1日+検察官送致2日+勾留10日+勾留延長10日の23日だ。

 ・勾留は、海外逃亡の恐れ、証拠隠滅の恐れが認められるときに許可される。それでも10日間が限度だ。勾留延長は、やむを得ない事由がある場合のみ認められる。

検察は、この規定をないがしろにするために、あえて逮捕を繰り返して、拘束期間を延ばしていると考えられる。

 11月19日に逮捕されて、保釈可能になるのは1月11日。年末年始もぶっ通しで取り調べを続ける。これが日本の人質司法である。ここまでながいのは中々無い。徹底的に精神を疲弊させるのだ。

 

 はっきり言おう。こんなことは刑事訴訟法の身柄拘束規則を潜脱している違法行為だ。

 

 虚偽記載を期間わけて逮捕状請求してんのも意味不明だ。だからこそ裁判所もさすがに横暴が過ぎるということで勾留延長を却下したんだろう。

逮捕が分かれた理由については「公判の内容に関わるので理由の公表は差し控える」らしい。

 勾留延長が却下され、ゴーン氏が保釈される日となり、東京拘置所の前で待ち受けるメディア陣、しかし速報で、「ゴーン氏、特別背任罪で再逮捕」。再び檻に沈むこととなった。

 勾留却下されたから、ならばこうだ、と特別背任のカードを切ってきた。特別背任は、ここでは説明を省くが、本事案で立証が非常に困難であると言われている。だが、ここまでした以上必ず起訴される。今後の動向も見放せない。

 

今回、ゴーンが逮捕されたことにより日本の刑事訴訟運営の異常な閉鎖性に注目が集まっている。これを機に新しい風が吹き込むことになれば良いが・・・。

 

ゴーンは、いまもなお暗くじめじめしたコンクリートうちっぱなしの東京拘置所にいる。vipルームなどない。

サーカイは、ぬくぬくベッドでpcゲームをしている。

年末に一人東尋坊へ

 

どうも、ゴエモンです(*´・ω・`)b

友達は皆帰省してリアルボッチ君な私ですが、ただダラダラするのも何なので、福井の有名観光スポット「東尋坊」へ行ってきました!(写真↓)f:id:guruguru1998:20181227163648j:image

 

いや~なんという断崖絶壁!昔私の親戚はここから飛び込みして楽しんでいたと聞く…!私には無理だ(笑)

 

しかし寒い。かつて高校の体育の時間で味わった、みるみるうちに手が動かなくなるあの感覚…。カメラのシャッターも中々押せない…!😭

と、ここで私にある考えが浮かんだ。それは

 

折角三国に来たんだから、三国温泉へ行こう!

 

という考えだ。そう考えた私は、早々に東尋坊を後にし、近場の日帰り温泉に転がり込んだ。

嗚呼、生き返る…!めちゃくちゃ温かい。湯の成分とかはよく分からんが、体力が回復していくのを感じた。

 

風呂から上がった私は、牛乳を飲んで食堂へ向かう。

そしてこれを注文した(画像↓)


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もはやお馴染み福井のソウルフード「おろしそば」に「タコの唐揚げ」…!タコからは私の大好物なので、これは外せなかった…!

 

旨い。なんという旨さだ。しかもこのおろしそば、辛くない。私の舌が慣れたのか、そういう手間を加えているのかは分からんが、止まらず口に含むことができた。

 

そして完食!現在休憩中だが、ここを離れるのは少しばかり名残惜しい…😅

今後福井に来る予定のある方は、時間が許すなら東尋坊、ひいては三国温泉を訪れて欲しい…!

聖夜にハイポ作ったら死にかけた話

どうも、性の六時間とは全く無縁の時間を過ごしたゴエモンです(*´・ω・`)b

私は女性とのお付き合い経験が無いので、どうもそういったイベントには疎く、参加もできません。ナンパしようと思っても福井はおばあちゃんばかり…!お年寄りとのんびり語り合うのも悪くないが…🤔

 

さて、私はサンタからプレゼントをもらえなくなった年から、クリスマスには何のイベントも起こらず、退屈な時間を過ごしていました。大学二年となり、独り暮らしも二年を過ぎようとした今、

 

「何かハデにアクションを起こすか!」

 

と浮かれ気分になりました。そこで思い浮かんだのが、某ニコ生主がやった「ハイポーション」を自作してみることでした。

 

いやいや、ハイポーションて…😅

もうね、バカかと。アホかと。

ハイポーションを飲んだ例のお馬さんは吐きまくってました。それを見てなお自作しようというのか。

 

しかし賽は投げられた。一度回りだした水車は止まらない。その時の私は素面であるにも関わらず、やけにハイテンションでした。そして後先考えずハイポーションを作り出しました。

 

≪材料≫

リポD

・アサヒドライゼロ

・野菜ジュース

UCCコーヒー

・ハチミツ

コンソメスープ

・葡萄ジュース

胡麻ドレッシング

 

これらをぶちこんで加熱してコップに入れて…完成!

 

臭い。マジで臭いです。ドライゼロを入れたのは失敗だった。しかし作ったものは責任持って飲まねば!そして一口…

 

…マズい。

マジでゲロみたいな味がしました。そして気がつくと私はトイレに直行、腹の中のものをハイポもろとも全て吐き出していました。その時になってこう思うわけです。

 

「何でこんなことしたんだろう?」

 

はい、もう遅いです。後の祭りです。この後は皆さんも想像がつくでしょうが、

 

・吐き気が止まらずトイレから出られない。

・ついでに下痢になる。

・悪寒がする。

・熱が出る

 

極めつけには急に倒れて六時間程記憶がない。(気絶したかと)

マジで地獄をみました… (lll´Д`)

 

という訳で、恐らく人生最悪の聖夜を過ごした私のお話でした。

皆さんはどんな聖夜を過ごしましたか?

大人になろうとする若者たち

 一か月以上ぶりの投稿、タウズです。

 矢のように時は流れ、気が付けばもう年が終わろうとしてますね。とはいえ、一年を振り返る気にはまだなれず、とりあえず今日はまた思ったことを書くだけにします。振り返りは後日。(振り返ることなく年を越してしまうのがオチ)

 さて、周囲には晴れて二十歳の誕生日を迎える人が増え、一段とたくましくなるかと思いきや、まあそう簡単に人は変われるわけないなと思い直すことの繰り返しではありますが、それでも徐々に、少しずつ、何かが変化し始めているのを、どこか肌で感じている今日この頃。

「この科目、オレの将来に要らんと思って、だからもうええわ。」

「研究室選びを考えると、そろそろ勉強に専念せなあかんから、部活やめるわ。」

「熱力学はもう役立たず。これからの時代、先見の明がないとね。」

 みなさん将来のことを真剣に考え始めたようで、それぞれ何かしら物事を諦め、ある分野に絞った生き方に路線変更をし始めたようです。人生も盛りを迎え、より効率よく、自分に向いている分野へ、まっしぐらに進んで行こうとしているのでしょう。

 そして、そんな時期にも関わらず、新たな趣味、サックスに手を出してしまった僕を見て、周りの友人たちは果たして何を思うのでしょうか。口には出さないだけで、「ああ、バカだな」とか、「今更始めてもろくに上達しないのに」とか、思っている方もきっといらっしゃるでしょう。ごもっとも! 僕はバカであります。そんなことはほかの誰でもなく僕自身が一番知っております。ただ、僕はこう思います。バカになれるうちは、バカになっておくべきだ、と。今はまだ、バカになってもいい時期だ、と。

 僕の周りには、将来を見越して何かを諦めた人や、やろうと思っていたことはあるけれど、今から始めるのは遅い気がするから諦める、といった人がちらほらいるのですが、どうして諦めてしまうのか、僕には理解できません。そして、理由を尋ねると、たいてい「時期的に良くないから」だとか、「将来のためにならないから」といった答えが返ってきます。あまり詮索は良くないと思ってそれで会話は終わってしまうのですが、そんなとき、僕は無性に聞きたくなります。「将来がどうなるのか、君には見えているとでもいうのか?」

 「大人になる、ということは、何かを諦めることだ。」という言葉をよく耳にしますが、僕にはそうは思えません。諦めて、夢も希望も捨ててしまった人を大人というのであれば、この世界中の大多数の人間が鬱屈した日々を送っていることになってしまうではありませんか。

「いつまでも子どもでいてはいけない。」

「早く大人にならなければ。」

 二十歳になった若者たちは、どこかで心の焦りを感じているのか、大人になろうという意識から、自分にとって必要かどうかわからないうちから物事を見限り、これは要らないものだ決めつけて諦めてしまう人が多いようですが、どうしてそれが自分に必要ないと断言できるのでしょうか。諦めることが大人への道だと思い込み、仕方がなかったと、その行為を「大人」という言葉で正当化しているようにすら聞こえます。

良く考えてみると、大人になるために諦める、ということは、その、諦めるという判断をしたのはまだ大人になっていない、子どもの判断ということになります。つまり、その諦めは、大人になろうと焦った、判断力に乏しい子どもが判断した諦めであり、極めて危険な行為といえます。物事と物事の関連性が見えていないうちに、これは自分に必要、これは不必要、と決めつけるのは、あまりに愚かだと思います。

 僕は、「諦める」という行為を完全に悪とみなしているわけではありません。時には諦めることが大切な場面がきっとあるでしょう。けれど、子どもから大人になるため、などという理由で、物事を諦めることは、間違っていると思うのです。そして、若いうちは、簡単に諦めてしまうようなことは、絶対にしてはいけないと思います。

 若者ほど、若さという最強の武器を持て余しているように感じます。若さとは、エネルギーであり、輝きであり、強さであります。若いうちは、たいていのことは何をしても許される。失敗しても、立ち上がれる。身体も健康であり、病気から回復する速さも年寄りとは比較になりません。この世界でたくましく生き、そして、ありとあらゆることを吸収するのに最も適した時期であることは言うまでもありません。その若さを、無駄にしていい理由はどこにもありません。そして、自分はこんなものだと決めつけて、自ら若さを手放すような行為は、人生を捨てるようなものです。そして、ある程度歳月が経って、本当に手遅れになってから、後悔する。それだけならまだよいのですが、輝いている若者を見かけたり、周囲の同年代が自分より若く見えたりするたびに、羨んだり、妬んだり。さらには本気で努力している人に出会ったら、「頑張ってもどうせ特別な人間には勝てない」とか、「引き際を知ったほうが楽になれる」などと囁いて、邪魔をする。自分たちの側に引き入れようとする。自分から若さを捨てておきながら、他人が若く見えたら他人にも若さを捨てさせるように促す。なんと卑劣な大人たち! そんな人間を大人と呼ぶのであれば、僕は一生大人になんてなりたくありません。

 何も一生子どものままでいていいと言っているわけではありません。ただ、自ら、ここまでは子どもで、ここからは大人だ、という明確な線引きをする必要はないと思うのです。そして、大人にならなければという焦りから大人になろうとしても、ろくな大人にはなれないと思うのです。

 ですから皆さん、そしてすべての若者たちへ。絶対に、自ら若さを手放すことだけはしないようにしてください。そして、無理に大人になろうとして、いろいろと諦めてしまうようなことはしないでください。「大人」という言葉は、諦めを正当化するためにあるのではありません。仕方がなかったと片づけてしまわないで、たとえ人の目に醜く映ろうとも、もう少し足掻いてみてはいかがでしょう。僕は、サックスを始めてみて、こんなに楽しいことがまだあるのだと、気づかされました。新しいことには、こんなにも喜びと感動がある。世界は、知らないことだらけ。そうした意味では、僕らはまだまだ子どもなのです。「世の中どうせこんなもの」だと高を括ることが賢いことだなどと思い込まずに、知らないことを純粋に知ろうとするその姿勢を大切にしてほしいと思います。

 複雑に膨らんだこの世界、どの点と点が結びついているのか、絡み合ってわかりにくくなっていて、一見すると遠く離れた点と点は、無関係のように見えることがあります。でも、だからといって、よく知りもしないうちから、これとこれは関係ないと、バッサリと切り離してしまわないでほしい。座標平面上において、n個の点は、nがたとえどれだけ大きな数であろうとも、(n-1)次関数のグラフですべての点を繋げるように、意外な関係で点と点はつながっているものなのです。

 大人と子どもの狭間で迷い悩むすべての若者たちへ、とりあえず一息ついて、周囲を見回してみてください。ひょんなことから何かが始まる可能性は、そこら中に無数に転がっています。