アーナン日報

暇な大学生達でブログやります。

旧司法試験H12憲法<第一問>

サーカイです。

今日は僕が普段何を学問しているかについて説明しよう。

(僕か、オレか、未だに定まりません)

 

学校教育法の規定によれば、私立の幼稚園の設置には都道府県知事の認可を受けなければならないとされている。学校法人Aは、X県Y市に幼稚園を設置する計画を立て、X県知事の認可を申請した。X県知事は、幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間で過当競争が生じて経営基盤が不安定になり、そのため教育水準の低下を招き、また、既存の幼稚園が休廃園に追い込まれて入園希望者及びその保護者の選択の幅を狭めるおそれがあるとして、学校法人Aの計画を認可しない旨の処分をした。

この事例における憲法上の問題点について論ぜよ。<法務省司法試験過去問より引用>

 

旧司法試験の論文問題である。皆さんはこの問題を読んで素直にどう思うだろうか。知事の処分はやりすぎ、と考えるだろうか。現実に起こりうる、または起こっている事例をもとに作られる問題だ。

法律の道を歩む者にとってあくまで重要なのは常識の感覚であり、あとはそれを理屈付ける強引さと、法的思考力である。市民の味方である弁護士志望であれば(そうでなくても点数配分を考える限り)、なんとか違憲判決に持っていきたい。

実は司法試験受験生にとって現場思考の必要性はごくわずかに限られており、これまでのインプットの積み重ねから瞬時に書くべき答案と要素がピックアップされる。典型論点である場合は多くて10分ほどで答案構成を終了する。この問題でいえば、

1.侵害されている恐れがある人権

2.「法人」は人権を持つか

3.違憲審査基準のセレクト

4.知事の判断の合理性

この4点について判断しつつ答案を展開する。

1、

本問では憲法で規定された2種類の人権が侵害されている。幼稚園経営の不許可は職業選択の自由(営業の自由)<22条>、結果的に幼児の学問の自由<23条>。いや、教育を受ける権利<26条>がより適合しているか。では、これらの人権を、そもそも原告たる法人は持っているのか?

2、

法人が人権を持つのか。法人、例えば会社。もはや現代社会において法人は人間個々人と同等かそれ以上に重要な役割を果たしている。選挙権はなくとも、表現の自由や信教の自由は認められる。言語化すれば、権利の性質上可能な限り、人権は法人に認められる。では、現状、人権侵害の問題では、その侵害が許されるかどうか。

3、

社会経済政策上の規制たる積極目的規制の場合は、明白性の原則が採用される。明白性の原則とは、当該措置が著しく不合理であることが明白である場合に限って違憲となる。これを違憲に持ち込むためには、知事の判断の合理性の判断こそが腕の見せ所となる。

4、

そもそも幼稚園が一地区に4つできたとして、本当に過当競争の結果経営が不安定になり廃園、そして保護者は選択を奪われるのか。おそらくみなさんがやりすぎか?と思ったであろう部分。

ここで舌を使う。

幼稚園を認めれば、各幼稚園は他の園との差別化をはかり、個々の教育内容を充実・発展させる。教育水準は上がる。保護者達は選択の幅が狭まるどころか、かえって多種多様な教育の中から子に施したい教育を選択でき、幅は広がるといえる。

知事の判断は社会的相当性を欠いている。

以上を答案に落とし込む。

 

1.X県知事による学校法人Aの幼稚園設置計画を認可しない旨の処分(以下本件処分という)はAの幼稚園を設置する自由を侵害し、違法ではないか。

⑴まず、上記自由は憲法上保障されるか。

ア この点について、幼稚園設置申請は学校法人が幼稚園経営の一環として行うことに着目すれば、営業の自由(22条1項)として保障されるも思える。

 しかし学校法人は学校教育を主たる目的とする法人であり、株式会社とは異なり、収益をあげることを目的とする法人ではない。

 そのため上記自由を営業の自由の問題として捉えるべきではない。

ここで、憲法26条について言及する。憲法26条は国民各自が、1個の人間として、また1市民として、成長、発達し、自己の人格を形成、実現させるために必要な学習をするという子供の学習権も保障している。特に子供については、そも学習欲求を満たすための教育を大人一般に要求する権利を有するというこどもの学習権も保障している。そうだとすると、子供の教育の場として幼稚園を提供することは、こどもの学習権に奉仕するものとして、同条により保障されるものと解する。

イ そうだとしても、Aは学校法人であるから、法人に人権共有主体性たりうるかが問題となるが、法人が現代社会において1個の社会的実体として重要な活動をおこなっていることを鑑みて、性質上可能な限り、人権規定は法人にも適用されるものと解する。

そして上記自由は、そもそも学校教育法人がもつものであると規定されている。(学校教育法?条)

ウ したがって、上記自由は、憲法26条によって保障され、法人であるAもかかる自由を享有している。

⑵次に、本件処分によりAは幼稚園の設置を制限されており、かかる自由は制約されている。

⑶もっとも、かかる自由も、無制約ではなく、公共の福祉(12条後段、13条後段)による制約を受ける。そこで上記自由は公共の福祉による制約として正当化されるか。

ア この点につき、幼稚園の設置の認可は、教育の質を一定の程度に保つべく、人員や設備に関しては、技術的・専門的判断が求められる。そのため、X県知事に広範な裁量が認められる。

 しかし、本件処分により害される自由は、子供の学習権に奉仕するものであり、子供の学習権は明日の有権者を育てるために必要不可欠なものといえ、民主主義の根幹を成す重要な権利である。さらに不認可処分により、Aは私立幼稚園を設置できないという重大な不利益を受けることになる。そして本件処分は、「幼稚園が新設されると周辺の幼稚園との間で過当競争が生じる」ことを理由としている。これは、人員配置や設備の適正化など、Aの努力によって改善可能な理由にもとづくものではなく、既存の幼稚園との位置関係を問題とするものであり、Aの努力によっては如何ともしがたい理由によるものである。上記のような理由に基づいてAの上記自由を制約する場合には、技術的・専門的判断の余地は無く、X県知事の裁量は限定的に解するべきである。

イ そこで考慮すべき事項を適切に評価していない場合など、社会通念上の相当性を欠く場合には裁量の逸脱・濫用として違法と解する。

⑷これを本問についてみると、本件処分の目的は、幼稚園の新設による過当競争から経営基盤が不安定になり教育水準が低下することを防止し、また、既存幼稚園休廃園から入園希望者及び、その保護者の選択の幅を狭めないようにする点にある。

 確かに、周辺に幼稚園が新設されれば、両者の間で競争が生じるといえる。

しかし、かかる競争により、ただちに経営基盤が不安定になり、そこから施設の劣悪化、教員不足などの弊害が生じるなど教育の質が低下し、また、廃園に追い込まれるとは言えない。むしろ新設された幼稚園及びその周辺の幼稚園は競争に打ち勝つべく、差別化を図るために優れた教育実践の充実・発展を図ることが期待される。具体的には、スポーツ教育の充実や、早期の英語教育の導入、児童受け入れ時間の長時間化など、教育の質の向上が見込まれる。このような差別化が生じることにより、結果的に保護者及び入園希望者の選択の幅は広がるといえる。

それにもかかわらず、幼稚園の新設により教育の質の低下や、保護者の選択の幅を狭めると判断し、Aに対し重い不利益を課す本件処分の重大性及び本件処分がかえって本件処分の目的の促進を阻害するおそれがあるという考慮すべき事項を適切に評価しているとはいえず、社会通念上相当性を欠いているといえる。

 したがって、本件処分は、X県知事の裁量権を逸脱・濫用するものといえ、違法である。

2.よって本件処分は、26条に反し、違憲である。

 

以上

 

司法試験の魅力は文章力と論理構成が大きく試される部分にある。インプットの時間は苦しいが、アウトするとき、文章を楽しむ余裕さえあれば、一定の文章力を持つ人間ならばリビドーを感じるはずだ。僕はフル集中力を発揮したときの自分の文章力にはある種の信頼を持っている。もちろん、司法試験受験生の論文試験など文系の極みが集合する場であるから、全員が訓練されたライターだ。しかしそんな場に飛び込めるチャンスがあるとすれば、挑まない理由がない。司法試験を志した1つの理由だ。

ブログには発揮されませんが・・・。

 

これが、僕が青春を懸ける世界です。陰陰しいでしょう!

さて、商法のインプットに入ります。ではまた^^