アーナン日報

暇な大学生達でブログやります。

ケチケチ生活開始

こんばんは、ゴエモンです(*´・ω・`)b

新人戦も無事に終了し、11月も残すところあとわずか…。現在バイトをしてない私にとっては親からの仕送りが唯一の生命線。止められたら死にます(笑)

さて、お部屋探しもいよいよ大詰め。新物件は二択に絞られました!

 

「家賃30000円の和室」

「家賃48000円だが、広くネットも無料な洋室」

 

個人的には六畳間の和室も昔懐かしで捨てがたいが、便利で快適な暮らしをしたいのも事実…。特に前者だと経済的にも親が助かるだろう。悩むところだ…。

 

さてさて、12月になるとやることがいっぱい!映画を見たり部活に通ったりFPと公認会計士の勉強開始したりと盛り沢山です…!

部活に関して、以前はネガティブなことばっか言ってましたが、どうやら高校の様にガチガチに厳しい訳ではないので、行ける時に顔出して練習しようかと思います。暫く大会もないし。(;・∀・)

映画は「グリンチ」と「シュガーラッシュ」がありますからね…( =^ω^)

今月はヴェノム見ましたが、あれは最高だった。ヴェノム可愛いね(笑)

そしてFPと公認会計士ですが、FPは前回筆記で落ちたので受け直しですね(実技は通った)。公認会計士は5月の短答一発合格を目標に頑張ります。公認会計士に受かれば将来安泰、ベンツやBMを乗り回せるのだ…!大学受験で不完全燃焼だった分、やってやるぜ!👍

 

と、いうわけでこれだけ予定があると出費もかさみます。したがって私は今月はドケチ生活となりそうです(笑)

自炊もある程度はするでしょうし、晩飯はほぼ牛丼になるでしょう。大丈夫かな私の身体…🤔


三連休でしたね

金曜日の昼間に自動車教習所に行ってきました

仮免持ってるけどその日は所内で駐車の練習とかをしたんですけど、急ブレーキ体験とかあるんですね


100メートルくらいの直線を3分の2くらいまでアクセル全開からの急ブレーキ


死ぬかと思った

後ろに置いてたカバンが前まで飛んできましたよ、こわすぎ

事故には気をつけましょうね


大学までの自転車買うか迷うな

事故るかも


皆さん免許取った後運転してるんですかね


少年老い易く…

目元にしわができてしまった老人です。

少年老い易く学成り難しとは、「まだ若いと思って勉強しないでいたら、すぐに年月は過ぎてしまうものだ」という意味になります。 「若いうちにもっと勉強しておけばよかった」という感情や言葉の元祖とも呼ぶべきことわざで、同時に学問を修めるのは容易ではないから若いうちから時間をかけておくべきだという二つの教訓が込められています。

最近、知識を吸収できる時間と環境があることに無限の喜びを感じ、小学生の頃はその本質を考えもしなかったこの言葉をかみしめて居ます。ぼくの一週間のルーティーンが固まりつつあるので説明します。

平日:21:00ごろまで大学図書館で法律インプット。

土日:一日バイトin.余った時間はあそぶ。ここで平日への英気を養います。

不健全です。土日固定シフトなど、まともな大学生がやることではない。たうずくんもそうでしたかな。一昔前なら発狂するようなレベルで机に向かっていますが、衣食住を気にせず、勉強できる最後の時間を生きている。その焦りを感じています。社会人学習者の話を聞いていると、‘働きながら勉強‘だとか、‘バイトで爪に火をともしつつ勉強‘であるとかの話を散見します。要は、勉強以外のことに生活の半分を奪われてしまう状況。‘学生‘の身分が終われば可処分時間はどんどん減っていくでしょう。 大学生の、しかも実家通いの僕はやはり、生活の資力の大半を親に庇護されて楽に生きているのが現状です。携帯代や定期代を自己負担しているとはいえ、そんなことは当然の支払いです。立派に社会に出ている人もいる同年代の上位10%の恵まれた環境にいることは少し考えればすぐ理解できるでしょう。散髪に行った際、「大学は楽しい?」と美容師さんに問われ、現状を伝えると、「大学に行ってみたかった」と雑談の中でポツリ。 とても掘り下げることのできる話ではありませんでしたが、そこに様々な感情のうねりを感じました。

そんな我々大学生は、ただ無益に時間を消費して過ごしてよいわけがない。 持論を展開しましょう。

例えば。 大学生が100人います。 80人はサークルや部活をこなし、テストを無難にのりきり、バイトで小金を稼ぎ、日々の生活を楽しむ。いわば平均的な大学生といえます。 20人はいずれかに突出するでしょう。部活、アルバイト、勉強、あるいはモラトリアムの全力享受か。 この20人の中でも特に少ないのが勉強に突出する人種ではないでしょうか。 あくまで限定性の価値判断ですが、今、最もやるべきことはやはり知識の習得なのでしょう。

生き方に正解などありませんが、少なくともその後の60年の人生に直結するような生き方をするべきだ、と思う。何を軸にしてその後の人生を楽しむのか。目標が見えたなら、そこに向かってできることが必ずあるはずです。40億年の生命の進化の系譜は示す。成長しない種は、滅びゆくと。高校生までは画一的教育によって協調性が求められてきました。画一的であるがゆえにそこで発揮される個性も微々たるものでした。 しかし、大学生は自由だ。他者に迎合し個を埋没した80人になるのは、絶対にもったいない。 しかし、道筋は意外に簡単なのかもしれません。たうずが似たような趣旨のことを書いてましたが、できるだけ人と同じことをしなければいい。同じことをしても、人並みの人生しか待っていない。

----力が、欲しいか。

であれば、踏もう、茨の道を。

まあ、こんなとこでブログ書いてる同級生のみんなは全員個性とがってるから、もうトゲささりまくってるでしょうな。

成功なんてしょせん

 タウズです。

 早くもこのブログが終了の雰囲気を漂わせ始めたので、本当に終わってしまう前に書きたいことだけ書いてしまおうと思います。

 

 さて、いつものようにバイトを終え、いつものように帰りのバスに乗り遅れ、仕方がないから時間つぶしに立ち寄る場所、水嶋書房であります。普段は学術書を眺めたり(背表紙を眺めるだけ)、Microsoft Officeのガイドブックを読み漁ってみたり、新しいファンタジー小説を探してみたりするのですが、何の気なしに今日はいつも寄らないコーナーへ立ち寄ってみました。

 そこに並んでいたのは、「人生の成功のカギ」だとか、「できる人はみんなやっている」だとかいった、いわゆる人生の指南書のような書籍たち。人生の成功者たちの見聞から、成功の秘訣を解き明かそうという内容の本です。こうした本を眺めていて、ふと、こんなことを考えてみました。

 「成功者に倣って努力する生き方と、失敗者から失敗を学ぶ生き方、どちらがより人生において成功しうるのか?」

 何十年にも渡る人生を、「成功」だの「失敗」だのと一言で片づけてしまうのはなんとも強引な気がするのですが、一連の出来事を総括して言い切る格言のようなものを好むのが人間の性質であるので、ここではこういった強引な表現を用いることをお許しください。そして、青二才ごときが愚かにも人生を語ることをどうか大目に見ていただきたい。

 さて、さきほどの命題を考えてみた、とは言いましたが、深く考えるまでもなく僕の中では意外とすんなり答えが出ていました。まあ早い話が、成功のカギ、なんてもんがあったら、みんな成功してるよ。」って話ですね。成功者の真似事で人生上手くいく、なんてそんな単純な世界じゃないと思います。この世界にはいろんな分野があって、それぞれの分野には必ず成功した人がいます。でも、その成功した人の話を聞く限り、「ある成功した人の真似事を一生懸命してきたら自分も成功しました。」なんて人は一人もいませんよね。そりゃあ、成功した人にはそれぞれ憧れの人物や、尊敬する人物がいるかもしれませんが、別にそういった人物の生き方をまねて生きているわけではないはずです。

 成功者のまねをする、という行為は、成功から遠ざかる行為であるようにも思えます。まず、成功者と、自分は、生まれも育ちも違う。この時点で人格や価値観にかなりの差が生じています。そんな条件下で、成功者の真似事をしてうまくいく保障なんてどこにもありません。言ってみればサルが人間の真似をしているようなものです。それに、真似をする、という行為自体が、成功したいという精神と矛盾しています。成功したいのであれば、かつての成功者を越えていく必要があります。その成功者の真似事をしているようでは、その成功者を越えるどころか、たどり着くことすらできません。そもそもの目標の位置がずれているのです。

 「成功した人からは、何も学べない。」

 これは、母が以前からよく口にしていた言葉です。僕自身、最初はそれは言い過ぎではないのか、と疑問を抱いていたのですが、年を重ねるごとにその言葉がいかに真理をとらえているかがわかってきました。成功した人は、その人が最大限自分を活かせる環境を見出すことに成功した人物、とも解釈できます。つまり、ぼくたちと、その成功者では、そもそも存在している世界が違うのです。違う世界に生きる人物の真似をして、成功なんてできるはずがない。まずは自分の生きる周囲の世界を知ることから始める必要があるのです。そういう意味では、人生において近道など存在しないし、自分の生きる世界に通用する「人生の指南書」などは存在しないのです。書店に並んでいる人生の指南書は、それはどこか遠い異世界における人生の指南書にすぎないのです。そんなものをあてにしたところで、ますます人生が迷宮入りするだけです。

 では、人生は結局運任せでしかないのか。そんなことはないと僕は考えます。そして、人生をうまく生きるためには、やはり「失敗」に学ぶべきだと思うのです。

 「成功」は、その背景やその他さまざまな環境要素に左右された末に生じたたったひとつの結果にすぎず、もう一度同じことをやってまた「成功」するとは限らない、人生の経験としてはいささか頼りないデータです。一方、「失敗」は、二度と繰り返してはならない、という教訓を与えてくれる結果です。その失敗の原因を追究することで、次を違う結果に変えてくれる可能性を秘めているのです。たった一度の事実である「成功」と、後世に教訓として生き続ける「失敗」。重視すべきなのはやはり「失敗」のほうだと僕は考えます。

 この世に生きるすべての人間を考えると、成功した人に比べて、失敗した人のほうがはるかに多いはずです。なのに、どういうわけか、無数にある他人の失敗談よりも、ごくごくわずかの成功談にばかり意識が向いてしまいます。人間は、どうしても他人の成功談をうらやましく思う性質を持っているようです。他人が持っていて、自分にはないものが欲しくなるのも、似たような話でしょう。しかし、そんな風に、他人にあるものを欲しがって、それを手に入れることで安心するようなことを繰り返していては、目先の失敗は避けられるかもしれませんが、同時に将来的な成功も手放してしまい、いつまでたっても平凡に埋もれることになります。失敗にこそチャンスがあると信じて、目をそむけたくなる失敗をじっくり観察してみるべきだと思います。「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったもので、他人の失敗を知ることは、自分で実際に経験した失敗ほど鮮明ではないものの、良い教訓として得ることは可能です。他人の失敗を正確に分析することができれば、それだけ多く経験を積んだことにもなります。そして、他人の失敗を見て、「こうはなりたくない」と思えれば、その人とは違った人生を歩み始めることもできましょう。たった一度きりの人生、人と同じことをして終えてしまうのはあまりにもったいないとは思いませんか。

 さて、いろいろ書いてきましたが、僕が言いたいことは、結局、「人生を成功させた人は、誰よりも失敗を知っている人」なのではないかということです。その場限りで完結してしまう「成功」より、のちの人生に影響を与え続けてくれる「失敗」を、若いうちに積んでおくほうが、人生を長い目で見たときに、周囲より優位に立てるはずです。そのためには失敗を恐れないことが大切だと思います。失敗を恐れない、というのは、「失敗なんてヘッチャラだ」ということではなく、失敗は失敗だと受け止めて、そのうえで原因追及を、徹底的に行い、どんな失敗も見過ごさないようにすることです。気を付けていたはずなのに、失敗してしまった、という経験は誰にでもあるでしょう。それを、「まあいいか」で片づけてしまうか、「同じ過ちを繰り返さないためにはなにをすべきか」と考察するかで、もう差がついてしまうのです。

 過去の成功者たちはきっと、決して他人と同じ人生は送りたくないという、どこかひねくれたような強い意志を持ち、ひたすらに自分だけの人生を追い求めた末の成れの果ての姿なのでしょう。そして、そういう人たちにとって、他人が書いた人生の指南書なんて、きっと必要ないものなのです。多くの人が「危険」と判断し、避けるような選択も、その先に自分だけの未来があると信じて突き進んでいける勇気を持った人たちが、誰にもなしえないような偉業を達成する、「成功者」となりうるのだと思います。

 人生は一度きり。今この瞬間は今後二度と訪れない。そう考えると、失敗なんて怖くなくなってくる気がします。

 どこまでも、自分に正直に。自分だけにしか歩めない道を、探しながら生きていこうと、そう思いました。

 それではみなさん、おやすみなさい。

 

上には上などいない

お久しぶりです、ゴエモンです。

日曜日に行政書士試験があり、それを終えた直後風邪を引いて熱だして寝込んでおりました…😅

 

さて、話は変わりますが、私は北陸のとある大学に通っております。高校までは京都でしたが、受験失敗&祖母がその県にいるということで、後期でその大学に入りました。今回はそこに進学したことによる私の失望を少し書き綴ってみようかと思います。そして何故私が大学に進学して失望したのかを語るため、高校時代を少し語ろうかと思います。

 

自慢ではないが、私は高校の時はそこそこ出来た。全学年約200人中30番とそれなりに勉強をこなしていた。当時は名古屋大学法学部を経て弁護士、という夢を抱きつつ、欲に流れて遊びつつも京大法を目指す友人に負けまいと日々切磋琢磨していた。

因みに、高校三年時の名古屋大学法学部の判定はC。河合の名大オープンでこの結果が出たので、「なんとかなる!まだ行ける!」と希望を膨らませつつ、勉学に励んでいました。

 

さて、国公立受験生なら誰でも受ける「センター試験」ですが、ここで私は致命的な失敗をしてしまいました。試験当日「八割は確実に取らないと」とガチガチに緊張してしまい、それが祟って

 

点数を100点ほど落としてしまいました…。

 

後に改めてセンターの問題を確認したところ、数学で初歩的な計算ミスでかなり点を落としていたことが発覚しました。得意の日本史と国語で点をカバーすることが出来ないほど数学でポカッたことが致命傷でした。

 

そして目標の八割は届かず、私は

 

名大法を諦め静岡大学の情報学部に出願

 

しました。「取り敢えずこの点で行ける国立を」と考えた結果であり、他に提案した大学は全て親に却下されたので、ここに出願を決めました。

 

で、その静岡大学も、試験前日に勝手についてきた親と些細なことで大喧嘩してメンタルがどん底に落ち、受験も全く集中出来ず、めでたく不合格となりました…。別記事でまた書きますが、親は子供の受験に絶対ついてくるな。

 

そして「例え失敗しても確実に合格出来る大学」として出願した今の大学に後期で入った訳です。この頃はまだ

 

進学した大学にも上には上がいて、俺は触発されて頑張るんだろうな…!

 

とまだ前向きな人間であった。

しかし私の期待は進学してから一瞬にして崩れ去った。

 

上には上なんていないのだ

 

進学してからすぐに分かった。なんだこのレベルの低さは。「俺が一番じゃないか」と錯覚させるような、いや、もしかすると本当に自分が一番かもしれない位、呆れるほどの程度の低さである。

 

「その程度のレベルの大学しか行けなかったお前が悪い」と言われればそれまでだが、自分の出した結果を無理矢理納得すればするほど、自分が置かれた居場所に激しく失望した。

 

まず、知識と教養が無いから話が膨らまない。せっかく話題を振っても「そんなん知らん」の一言で会話が終わる。当初は、

 

お前ら18年間何してたの?

 

と言いたくなるほどだった。

次に、抱く夢がショボすぎる。「将来何になりたい?」と聞いても「会社に就職して頑張る」とか「夢なんてない」とか、考えてることが小さすぎる。中には「昔から名鉄が好きだから名鉄に就職したい」とか「教育者になりたい」とか元から決めた目標に邁進する者もいるが、ごく僅かの話だ。「起業する」とか「将来は独立開業したい」と考える夢想家は私だけだった。

 

そういう訳で、この夢もクソもない大学に進学した私は、「やはりもっと良い大学に行きたい」「自分はこの程度の人間ではない」と苦悩し、仮面浪人生となってまた一年間を受験に費やす訳だが、それはまた別の記事にしよう。

サザエさんシンドローム vol.2

6年連続夏の甲子園に導きました

ブログなんて存在忘れてました

どうも、こんばんは


土日にバイトがなく今まで通り休日を過ごしてからの平日4日間バイト……

土日フルで入るなんて社畜もここにはいるかもしれないですが僕もバイトについて語ってみようと思います。


大学も決まり受験勉強から解放された勢いで五月まで…ダラけました、単発バイトは数回やったものの長期のバイトを探そうともしなかったですね。

あの頃はバイトしようと思いつつ面倒でサーカイさんに適当に探してと頼んだ記憶があります、自分が働くのに。

そしてある日サーカイさんから「ここで働いてや」と突然URLを貰いました。

それがカフェで何の感情もなく応募しましたがそのまま採用してもらい今に至りますな


コーヒーチェーンにもかかわらず小さな喫茶店の様な雰囲気にうまくやって行けそうな好感を持てましたその時までは。


ひたすら掃除、掃除、掃除の日々でしたね

某ス⚪️バのような充実感なんて微塵もない

フード注文が通れば手を止められるし、洗浄機熱いし、順番や作り方間違ってどれだけ注意されたか

ドリンクの作り方曖昧でどれだけ時間がかかったことか

ホントに先輩がキライになりそーでしたよ


今では慣れましたが

どこのバイトでも皆さん苦労してるんですね

あぁ、明日も掃除か

コールセンター黙示録・絶望編

サーカイです。

コールセンター。狂気が支配する世界。高時給であり、高度なスキルが求められる。

今日はコールセンターについて知るところを述べてみたい。


僕は縁あって今年の3月からコールセンターでアルバイトを始め、今に至るまで続けている。

1、コールセンターとの出会い

3月。大学の後期試験が終わるや否やバイトを探し始めた。浪人という十字架を背負った自分は、1日も無駄にできなかった。そこで見つけたのがfu〇〇castという派遣サイト。申し込んだ次の日から入れるという手続きの速さに魅力を感じ、登録した。

記念すべき第一回目のバイト、それは延々と奥から流れてくるサンドイッチに、チーズを乗せ続ける作業。いわゆるレーン作業である。そこには大量のベトナム人や、いわゆる社会から逸脱した人々が集っていた。誤解を恐れずに言えば、レーン作業の工場は、社会の最下層である。人間が獲得した類まれなる脳を捨て、ただ同じ神経反射を繰り返す。そこには資格も、経歴も必要ない。

そこで目の当たりにしたのは、大量の廃棄。1トンレベルで新鮮なイチゴが捨てられていた。余ったという理由だけで。日本社会は、歪んだ消費経済に支えられている。コンビニを利用しながら、論者は環境問題対策を唱えている。この点については後日検討したい。

一日の作業を終え、送迎バスに乗り込む。疲労で朦朧とした意識の中、夕闇に呑まれる街を目に映しながら、考える。体は疲れている。だが最も苦しいのは、脳だ。駿台で受けた高等教育が涙を流している。もっと対応力、個人の器量が試される世界に行きたい。そう決心した。闇を覗くのは一度だけでいい。

そして出会った。〇ul〇〇as〇唯一の事務職・コールセンターカテゴリに存在する、某コールセンターに。

 

2.闘いの幕開け。

初日。自分を覗き合計7名の男女が研修を受けた。ようはマニュアルに沿って商品を受注する。それだけだ。そう思っていた。

マニュアルを読み進めると、途中で妙なパートが挿入されていた。

アップセル・切り返しトーク

アップセール。客はもともと1個買うつもりで電話をかけてきている。それを3個セット、さらには定期コースの契約に持ち込みなさい。それが我々初心者七名に告げられた宣告だった。

研修は初回手続き込みで6時間ほどかけて行われる。途中休憩時間があった。僕以外の初心者はテーブル席で歓談。僕は窓際で憲法入門を読む。陰オーラを発揮。

マニュアルどうりにスクリプトを読む。お客役とオペレーター役に分かれてロールプレイングをする。緊張でガチガチであった。そして、受電。

顧客の情報を聞くところまではスムーズに行く。想定通り。しかし突然、予期せぬ質問をぶつけてくるのだ。

「詳しい成分を教えてくれる?」

「保証できんの?」

マニュアルですぐサーチできない、質問。即答できなければ客との信頼関係は壊れ、後述するアップセルは100%成功しなくなるのだ。

硬直。瞬時に監視していたSV(superviser)が駆け付け、知識を耳元で補助し、乗り切る。

 

そしてアップセル。

僕「お得なコースいかがでしょうか?」

客A「高い。いらん。」

僕「・・・・・ウス。」

 

僕「いかがでしょうか?」

客B「いやテレビで一個やったやん。」

僕「(切り返しのチャンスだ!)ただいまお電話でお買い上げの方限定でですね・・・」

客B「1個でええゆうとるやろおおおがあああああ!!!!!ええ加減にせえよぼけえええええ!!!!っすぞおらああああああああああ!!!!!

僕「・・・・(恐れおののく)」

 

僕「どうですか?」

客C「死ぃぃ・・・ね。(ねっとりと)」

ブツ、ツー、ツー

こうして、病んでいく。マニュアル通りの言葉といえども、自分の提案が連続で無下に蹴り飛ばされ続けるのは、精神に負担を与える。逃げたい。だが、電話は止まらない。

 

そしてアップセルが連続で失敗すると、SVの席に呼び出され、指導を受ける。

SV「サーカイ君さあ。やる気ある?切り返してないじゃん。季節トークができていない!お客様の事もっと考えて?」

僕「でもお客さん怒ってまして(ボソ)」

SV「(目を見開きながら)怒ってたらやめるの?それだれが決めた?勝手に決めた?」

僕「(目の見開き具合に恐れおののく)」

次の日、僕以外の新人は消えていた。マジで消えた。そこに漂う危険な香りを察知し、いちはやく脱出したのだろう。そして1か月間、研修を受けてはすぐ逃亡する新人たちを何度も目撃した。それだけ、心に負担を与える業務内容なのだ。

今、別のコールセンターにいてわかることがある。はっきり言って、ここまで地獄のスパルタセンターは、今どき他にないだろう。オペレーターを道具としか考えず、スキルアップなど微塵も考慮していない。まさに派遣のセンターである。(中には素晴らしいSVもいました。次の記事で書きます)

 

2日目、行くか行かないかがコールセンターで生きていけるかどうかの分水嶺である。自分に合わないと諦めて逃げ出すのか、それとも食いしばり技術を盗むのか。なぜ僕は約1か月もそこに出勤できたのだろうか?それはベテラン勢の存在であった。

センターの奥で、アップセル成功率80%を誇るベテラン勢が、チームAとして島を作っていた。彼らは優雅に、談笑しつつ案件を成功させていく。

僕はこう考えた。できている人間がいるのなら、できないわけがない。このセンターで学べることをすべて吸収しきってから、辞めてやる。

当時のシフトは8:00~21:00.脅威のフルタイムワークである。労働基準法に危うい中抜けシフトで、文字どうり僕は歯車だった。だが、歯車で終わらないという強い決意が、僕を最年少(自称)チームAのオペレーターへと急速に進化させることになる。

 今回は負の面ばかり書きましたが、本当はメリットだらけの職場なんです。本当に!(笑)

一旦ここで区切ります。続きは次回。おやすみなさい。