アーナン日報

暇な大学生達でブログやります。

成功なんてしょせん

 タウズです。

 早くもこのブログが終了の雰囲気を漂わせ始めたので、本当に終わってしまう前に書きたいことだけ書いてしまおうと思います。

 

 さて、いつものようにバイトを終え、いつものように帰りのバスに乗り遅れ、仕方がないから時間つぶしに立ち寄る場所、水嶋書房であります。普段は学術書を眺めたり(背表紙を眺めるだけ)、Microsoft Officeのガイドブックを読み漁ってみたり、新しいファンタジー小説を探してみたりするのですが、何の気なしに今日はいつも寄らないコーナーへ立ち寄ってみました。

 そこに並んでいたのは、「人生の成功のカギ」だとか、「できる人はみんなやっている」だとかいった、いわゆる人生の指南書のような書籍たち。人生の成功者たちの見聞から、成功の秘訣を解き明かそうという内容の本です。こうした本を眺めていて、ふと、こんなことを考えてみました。

 「成功者に倣って努力する生き方と、失敗者から失敗を学ぶ生き方、どちらがより人生において成功しうるのか?」

 何十年にも渡る人生を、「成功」だの「失敗」だのと一言で片づけてしまうのはなんとも強引な気がするのですが、一連の出来事を総括して言い切る格言のようなものを好むのが人間の性質であるので、ここではこういった強引な表現を用いることをお許しください。そして、青二才ごときが愚かにも人生を語ることをどうか大目に見ていただきたい。

 さて、さきほどの命題を考えてみた、とは言いましたが、深く考えるまでもなく僕の中では意外とすんなり答えが出ていました。まあ早い話が、成功のカギ、なんてもんがあったら、みんな成功してるよ。」って話ですね。成功者の真似事で人生上手くいく、なんてそんな単純な世界じゃないと思います。この世界にはいろんな分野があって、それぞれの分野には必ず成功した人がいます。でも、その成功した人の話を聞く限り、「ある成功した人の真似事を一生懸命してきたら自分も成功しました。」なんて人は一人もいませんよね。そりゃあ、成功した人にはそれぞれ憧れの人物や、尊敬する人物がいるかもしれませんが、別にそういった人物の生き方をまねて生きているわけではないはずです。

 成功者のまねをする、という行為は、成功から遠ざかる行為であるようにも思えます。まず、成功者と、自分は、生まれも育ちも違う。この時点で人格や価値観にかなりの差が生じています。そんな条件下で、成功者の真似事をしてうまくいく保障なんてどこにもありません。言ってみればサルが人間の真似をしているようなものです。それに、真似をする、という行為自体が、成功したいという精神と矛盾しています。成功したいのであれば、かつての成功者を越えていく必要があります。その成功者の真似事をしているようでは、その成功者を越えるどころか、たどり着くことすらできません。そもそもの目標の位置がずれているのです。

 「成功した人からは、何も学べない。」

 これは、母が以前からよく口にしていた言葉です。僕自身、最初はそれは言い過ぎではないのか、と疑問を抱いていたのですが、年を重ねるごとにその言葉がいかに真理をとらえているかがわかってきました。成功した人は、その人が最大限自分を活かせる環境を見出すことに成功した人物、とも解釈できます。つまり、ぼくたちと、その成功者では、そもそも存在している世界が違うのです。違う世界に生きる人物の真似をして、成功なんてできるはずがない。まずは自分の生きる周囲の世界を知ることから始める必要があるのです。そういう意味では、人生において近道など存在しないし、自分の生きる世界に通用する「人生の指南書」などは存在しないのです。書店に並んでいる人生の指南書は、それはどこか遠い異世界における人生の指南書にすぎないのです。そんなものをあてにしたところで、ますます人生が迷宮入りするだけです。

 では、人生は結局運任せでしかないのか。そんなことはないと僕は考えます。そして、人生をうまく生きるためには、やはり「失敗」に学ぶべきだと思うのです。

 「成功」は、その背景やその他さまざまな環境要素に左右された末に生じたたったひとつの結果にすぎず、もう一度同じことをやってまた「成功」するとは限らない、人生の経験としてはいささか頼りないデータです。一方、「失敗」は、二度と繰り返してはならない、という教訓を与えてくれる結果です。その失敗の原因を追究することで、次を違う結果に変えてくれる可能性を秘めているのです。たった一度の事実である「成功」と、後世に教訓として生き続ける「失敗」。重視すべきなのはやはり「失敗」のほうだと僕は考えます。

 この世に生きるすべての人間を考えると、成功した人に比べて、失敗した人のほうがはるかに多いはずです。なのに、どういうわけか、無数にある他人の失敗談よりも、ごくごくわずかの成功談にばかり意識が向いてしまいます。人間は、どうしても他人の成功談をうらやましく思う性質を持っているようです。他人が持っていて、自分にはないものが欲しくなるのも、似たような話でしょう。しかし、そんな風に、他人にあるものを欲しがって、それを手に入れることで安心するようなことを繰り返していては、目先の失敗は避けられるかもしれませんが、同時に将来的な成功も手放してしまい、いつまでたっても平凡に埋もれることになります。失敗にこそチャンスがあると信じて、目をそむけたくなる失敗をじっくり観察してみるべきだと思います。「人の振り見て我が振り直せ」とはよく言ったもので、他人の失敗を知ることは、自分で実際に経験した失敗ほど鮮明ではないものの、良い教訓として得ることは可能です。他人の失敗を正確に分析することができれば、それだけ多く経験を積んだことにもなります。そして、他人の失敗を見て、「こうはなりたくない」と思えれば、その人とは違った人生を歩み始めることもできましょう。たった一度きりの人生、人と同じことをして終えてしまうのはあまりにもったいないとは思いませんか。

 さて、いろいろ書いてきましたが、僕が言いたいことは、結局、「人生を成功させた人は、誰よりも失敗を知っている人」なのではないかということです。その場限りで完結してしまう「成功」より、のちの人生に影響を与え続けてくれる「失敗」を、若いうちに積んでおくほうが、人生を長い目で見たときに、周囲より優位に立てるはずです。そのためには失敗を恐れないことが大切だと思います。失敗を恐れない、というのは、「失敗なんてヘッチャラだ」ということではなく、失敗は失敗だと受け止めて、そのうえで原因追及を、徹底的に行い、どんな失敗も見過ごさないようにすることです。気を付けていたはずなのに、失敗してしまった、という経験は誰にでもあるでしょう。それを、「まあいいか」で片づけてしまうか、「同じ過ちを繰り返さないためにはなにをすべきか」と考察するかで、もう差がついてしまうのです。

 過去の成功者たちはきっと、決して他人と同じ人生は送りたくないという、どこかひねくれたような強い意志を持ち、ひたすらに自分だけの人生を追い求めた末の成れの果ての姿なのでしょう。そして、そういう人たちにとって、他人が書いた人生の指南書なんて、きっと必要ないものなのです。多くの人が「危険」と判断し、避けるような選択も、その先に自分だけの未来があると信じて突き進んでいける勇気を持った人たちが、誰にもなしえないような偉業を達成する、「成功者」となりうるのだと思います。

 人生は一度きり。今この瞬間は今後二度と訪れない。そう考えると、失敗なんて怖くなくなってくる気がします。

 どこまでも、自分に正直に。自分だけにしか歩めない道を、探しながら生きていこうと、そう思いました。

 それではみなさん、おやすみなさい。